母親は楽しくて疲れる💦
ひとりの時は、自由にフラフラ出来た。
身体性フラフラではなくて、
認識のフラフラ。
(ひとりオリエント急行in箱根)
母親になると、
かなり常識的な現実に引き寄せられた。
風船🎈のような私の紐の先に、
子供という小石が結びつけられて、
地面に固定される感じ。
現実の世界への碇である。
今思うと、それはそれで良かった。
その紐の長さの範囲で、
風に揺られるのも悪くなかった。
そんな体験が出来たのは、
アンカーだった子供たちのおかげだ。
そこで知ったマジョリティな世界は、
あまり柔軟性が無いような、
境界もある程度は明確で、
正誤や善悪もハッキリしていた、
ような気がする。
固定的、、、そんな感じ。
振動数が低いと、波動が重くなる。
すると物質化する、みたいな。
その影響を受けると、
自分も当然そうなる。
漢字、たくさん知ってる方が良い。
成績、良い方がいい。
誰とでも仲良くしないといけない。
休み時間はグランドに出よう。
などなど。
誰とでも仲良くするって、大人もしてないよ。
自分たちが出来なくてやってないことを
子供たちに教えるって、どうなの❓
「気が合わない人にも礼儀正しく接する、
けれど友達にはならなくていいのでは❓」
なんて、すぐに思う私。
その世界では、たくさんの疑問も見つかる。
参観日、先生の声が小さすぎて聞こえない。
いつも俯き加減で、目が合わない先生。
その教室の前には大きく書かれている。
「人の目を見て、大きな声であいさつする」
ジョークなのか❓
子供たちより、先生が心配になる。
道徳の時間では、
ストーリーが展開して、
その中で誰が間違っていたか(悪いか)、
子供たちの意見を聞いた。
女子は先生の思惑を読み取れるので、
マニュアル的解答をするが、
男子はなかなか面白い意見を言ったりする。
ユニークな視点だ。
で、先生が即座に否定☠️
いやいや、「人の話を聞こう」ってこと、
ここで手本になるべきでは❓
授業は面白くなさすぎて、
ずっと座って聞いていられない。
ので、よく図書スペースに避難した。
いやぁ、これを1日やってるなんて、
我が子ながら偉い‼️
っていうか、修行なのか❓
とにかく、正解とされるモノの見方だけを
身に付けさせようという取り組みには、
胃が痛くなりそうだった。
いや、子供たちが先生の更に上をいき、
大人の思いも汲み取ってるやん。
そんなこんなで、
我が家ではさらに視点の多様化に
力が入ったのかもしれない。
先生たち、、、
こんな感じで生きると、
めちゃくちゃ幸せなんです‼️
という風には見えなかったのに、
子供たちには教え諭すよね。
子供たちのおばあちゃん(元義母)も、
固定化された視点を持つ人。
おばあちゃんの認識はずっと同じなので、
世界は固定され続けている。
超マジョリティ〜♬
明るくて、元気で、サッパリしていて、
私よりずっと愛情深く思える人で、
子供たちをとっても大事にしてくれる。
私にもお年玉をくれるー‼️
まぁ何より、いつも幸せそうなのがいい♬
そんなおばあちゃんが、
おばあちゃん的視点から、
子供たちに話をする。
だから私は余計に安心して、
自分の視点から子供たちに話せたのだと思う。
少なくともおばあちゃんがいてくれるのは、
バランス的には理想かも。
私だけでも、ちょっとねぇ〜💦
とにかく忙しくて色んな体験をした。
こんなにも可愛くて愛おしいものが、
世の中にあるんだ〜💕
と、そんな気持ちになる自分に驚いた。
(息子のこと♬)
そんな時代も、もう終わり。
まぁ、とにかく、、、
早々と「お母さん」を卒業させてくれて、
(現状は微妙だけど)
子供たちよ、ありがとう〜🎉